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| ほとけの道のお誓い(十戒)-諸悪慕作- NEW! | ||
| まず第一は | ||
| 不 殺 生 戒 ふせっしょうかい | ||
| 人や物のいのちを生かさんと誓います | ||
| 第二は | ||
| 不 偸 盗 戒 ふちゅうとうかい | ||
| むさぼりとらずに 他に喜びを与えんと 誓います | ||
| 第三は | ||
| 不 貧 婬 戒 ふとんいんかい | ||
| 欲するままの行いを慎み自然の摂理を大事に生きんと誓います | ||
| 第四は | ||
| 不 妄 語 戒 ふもうごかい | ||
| 嘘をつかず人の心を潤すような言葉を心がけんと誓います | ||
| 第五は | ||
| 不 酤 酒 戒 ふ こしゅかい | ||
| 元の清らかな心の生地をたもつよう誓います | ||
| 第六は | ||
| 不 説 過 戒 ふせつかかい | ||
| 愛語につとめ 人を引きたてるよう誓います | ||
| 第七は | ||
| 不 自 讃 毀 陀 戒 ふじさんきたかい | ||
| おおらかな心で 生きようとお誓いします | ||
| 祖師方が大切にされた「仏心」が忘れ去られようとしており、依然混迷の様相が増しております。 「見釈迦牟尼仏」――― 仏さまの姿をみつめ、仏さまの言葉に耳をかたむけ、共に喜びたいと示され、仏さまとの出会いこそ生きる礎としていこうと、道元禅師は示されました。 正月の”正”は、”一”度”止”まって今日までの生き方を見つめ直し身の処し方をじっくり考えてみませんか!という歳の始めの月。できることから始めてみましょう。 仏前で静かな時間(坐禅)を 行じてみる 手を合わせ口に唱えて「南無釈迦牟尼仏」(三遍)を 行じてみる 心をこめて合掌、礼拝して般若心経等 読経を 行じてみる 是非、心を発し勇気を出して始めてみましょう。苦悩と共にあるいのちの中で「見釈迦牟尼仏」の心を育てて行くことこそ信仰の道を歩む喜びです。 |
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| いのちの伝承(一) | ||
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| 生まれかわり、死にかわりして数えきれない祖先のいのちが引き継がれ、今、自分のいのちを生きています。 生老病死のこのいのち、どの様に生き、老いを見つめ、病と向き合い、死を迎えるか。この死こそ人としての卒業式。何をもって次の世代にバトンタッチすればいいのでしょう。(これが大難問) まず一つには生きる力。 私の人生を生きぬくための生命力。 人が人らしく生きぬく力。 この力を日常の生活の中に生かし共に学びあい、育てあうことが必要となってくるでしょう。この一つ一つを次世代に残したい、いのちの宝ものです。 弁道話の中に 「仏道をならふといふは 自己をならふなり」 と示されておられます。詳しくは次回に続きます。 |
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| いのちの伝承(二) | ||
| 自分が自分らしく生きるには 今、頂いているこのいのちを見つめることが第一歩。これが生きる力となって輝いて、いのちの真実に出逢うことになります。 では いのち とは 何? 第一 この「いのち」は、天地いっぱいの一つ一つのいのちと、 かかわりを持って生きております。 第二 この「いのち」は、だれとも違うただ一つのもの。 オンリーワン!みんなちがってみんないい!もの。 第三 この「いのち」は、必ず最後に「死」がまっています。 意識してもしなくても、いつどこで死ぬるいのちか わからない。 第四 この「いのち」は、常に変化しています。川の流れのごとく。 今日の自分は、昨日の自分ではなく明日の自分でもない。 このいのち(死)について 考えていくと重苦しい気持ちになるが、真剣に考えていけば、今の「いのち」を大切に、今日という一日が輝いてきます。 |
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| いのちの伝承(三)死をみつめる | ||
修証義に「生死は仏の御いのちにて…」と示されております。 |
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真澄 拝 |
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| 内外共に混迷の様相であります。が、 | |
| 私共の曹洞宗においては、どんな時代になろうとも、どんな生活の中にあっても大切に保たれなければならないことを、祖師方が示されております。 | |
| 高祖 道元禅師は---『身心自然に脱落す』 | |
| 太祖 瑩山禅師は---『心地を開明し本分に安住せしむ』 | |
| 毎朝のひととき 調身、調息、調心の 心を静かに保つ数分を持ちたいものです。 | |
| そして、ゆっくりと 口に唱えて言わく | |
| なむ しゃか むにぶつ | |
| 『南無釋迦牟尼佛』と三遍お唱えします。 | |
| この発心の一歩こそ、仏さまの教えに値う光明となり、心安らかな生活の基盤となることでしょう。 |
| 一行に遇って一行を修す | ![]() |
| 人生に定年はありません。 | |
| 老後も、余生もないのです。 | |
| 死を迎えるその一瞬まで、人生の現役です。 | |
| 人生の現役とは自らの生を悔いなく生きることです。 | |
| そこには「老い」や「死」への恐れではなく | |
| 「尊く美しい老い」と「安らかな最後」があるばかりです。 |
| 日日の行持は報謝の正道なり(修証義) | |
| 仏さまの教えの中に、私達の「いのち」は尊ぶべき身命なりと示されております。かけがえのない「いのち」とりかえることのできない「いのち」と言う事です。 | |
| ○平沢興先生(京都大学総長)は、この人間の「いのち」について次のようにみつめておられます。 | |
| ○○○人間は、この生命をいただくまでに五十数億年という進化の背景がある。 | |
| ○○○三十数万億の細胞の共同体としての人間は、肉体的にも精神的にも、 ○○○まさに全宇宙の至高の芸術品である。 |
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| 私達の「いのち」は、五十数臆年の「いのち」のバトンタッチがあって、ようやく、今、自分の番を生きています。この「いのち」あなたはどう生きて行きますか。 | |
| 朝目覚めてありがたい、お仏壇にわがいのちありがとう、食事にもありがとう、いただきます、子育ても、仕事も、この時こそありがとうの如来さまです。 | |
| 日日の行持は報謝の正道なり | |
| 朝のお仏壇で「おいのちありがとう」とお唱えいたしましょう。 |
| 脚下照顧ーはきものをそろえるー | |
| ご本山修行中、先輩のお坊さんから | |
| 「まず、はきものを整えよ。」と教えられます。 | |
| ○○はきものの乱れは、心の乱れ。 | |
| ○○はきものを乱しておくと心も乱れてまいります。 | |
| ○○はくときに、はきものが乱れていると心が乱れてしまいます。 | |
| ○○「はきものを整える」ことを実行するには | |
| ○○(ととのえよう)とする勇気が必要ですよ。 | |
| というのです。 |
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| これを一年間、しっかりと実行できれば、自然に心がととのってきます。 | |
| はきものを整えることは、 | |
| 自分を大切にすること、自分を愛すること、 | |
| 自分をしっかりと見つめることになります。 | |
| 誰かが乱しておいたらだまってそろえておいてあげよう。 | |
| そうすればきっと世界中の人の心もそろうでしょう。 | |
| 仏 心---NEW | |
| 道元禅師は、 | |
| 仏心を発(おこ)すというは | |
| 己れ未だ渡らざる前に一切衆生を渡さんと発願し営むなり | |
| と示されております。 | |
| 仏心とは、自分のことはさておき、人の為に尽くそうという心を発すこと。 | |
| この心は、仏さまの心です。 | |
| 自分の我を中心とするから苦しみます。 | |
| 仏心にめざめれば、苦労も生き甲斐に変わってきます。 | |
| 自分が救われる事になります。 | |
| 観無常心(かんむじょうしん) |
| 無常を感じることは真実に覚め、 | |
| 無常に出逢うことは真の自分に出逢う | |
| 生まれたものは死に | |
| 会ったものは別れ | ![]() |
| 持ったものは失い | |
| 作ったものはこわれます | |
| 時は | |
| 矢のように去っていき | |
| すべてが無常です | |
| この世において | |
| 無常ならざるものは | |
| あるでしょうか | |
| 正しい宗教 | |
| 自分の宗教を信じるあまり他宗をそしり、 | |
| 果ては憎しみ合うほどおろかな事はない。 | |
| 正しい宗教は、いつの時代でも人々を明るく照らし | |
| 平和な身と心のあり方を導くものである。 | |
| 親鸞上人は、 | |
| 「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」といわれました。 | |
| イエス・キリストは | |
| 「心貧しき者、天国はその人のものなり。悲しむ者、その人は慰められん。」 | |
| 道元禅師は、 | |
| 「坐禅は安楽の法門なり」 | |
| 「仏道をならふと言うは自己を習うなり」と言われております。 | |
| 普遍の宗教には、誰でもが等しく普く救われ | |
| 安らかに生きるという道理が示されています。 | |
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