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●山門 安土・桃山時代の様式を取り入れた千鳥破風造りで、今を去る400年前、武茂家屋敷の表門としてあったものを、菩提寺へ寄贈されました。門の両側に武茂家の家紋が刻まれております。棟札に安永元年霜月改修されたと記され、現在にいたり県の文化財になっております。 |
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●白藤(のぼり藤) 乾徳寺39世原徳成和尚代「四国出身」記念樹として植えたもの。樹齢約200年「4月22日より5月10日が見ごろ、真白な花房はやや大きく、香りが境内いっぱいに漂います。 |
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●本堂 「元禄2年霜月棟札」大改修工事があり、その後、正徳5年当山十一世代一部改修の棟札がある。明治36年4月8日、民家の火災により七堂伽藍が焼失。(四十一世保寿代)明治45年春復興して今日に至る。 |
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鎌倉時代の五輪塔、多宝塔が、大木の杉木立に囲まれた、武茂家累代のこけむした墓所が当山墓地中央におさめられております。 | 七百年の歴史、武茂城跡。 | |||
武茂泰宗の像 |
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東西600メートル南北290メートルの武茂城は、正応・応仁の頃(1288〜1299)に武茂泰宗(宇都宮氏分家)が現在の城跡の南西麗の「古館」の地に築いたのが始まりという。 本城跡は東西に接近する、二つの尾根にあり、両者の山間低地に武茂家の菩提寺である、乾徳寺があります。この寺を境として、西側に本丸・二の丸・三の丸などの生活の地域、東側は守りの地域となっています。 戦国時代の山城、武茂城跡と乾徳寺一体の山城は歴史に残る環境であります。 |
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那須郡馬頭町広重美術館隣り 乾徳寺(けんとくじ)